REVIEWS DFRobot Maker Friend Story——倉本大資 Daisuke Kuramoto
DFRobot
Dec 31 2019 260130
We invited our maker friend 倉本大資 (Daisuke Kuramoto) to come and share his making story.
Author: 倉本大資 (Daisuke Kuramoto)

名前 倉本大資 Daisuke Kuramoto
活動場所 勤務先
東京
OtOMO代表 / 株式会社TENTO 経営企画本部・講師
株式会社スイッチエデュケーション アドバイザー
株式会社ロクナナ
職業
子ども向けのプログラミングの教育者、実践者、研究家
DFROBOTに関して
·どのようにDFを知ったか
Maker Faire Tokyo に出展していたときに、レイチェルたちが声をかけてくれた。
使ったことがある商品
(どんなプロジェクトに)
ワークショップなどを開催した。

自分の小型デスクトップ開発環境として
現代アートの制作のお手伝いで、Arduinoによる商用電源制御
最も好きな商品
キュートで賢い、よく考えられたツールだから
なんでDFが好きですか
入門から専門的な取り組みまでサポート可能な本格的なラインナップ。
子どものためであってもおもちゃではないこと。
メイカに関して
·メイカになった道のり、きっかけ
子どものころからものづくりやブロック遊びなどが大好きだった。
理系の進路を目指したが、理工系分野は直接的なものづくりと遠い感じをうけ大学で現代アートを学んだ。手を動かし物を作ること。それを仲間や鑑賞者とシェアする面白さを知った。
社会人になってe-Learningのコンテンツ製作、配信技術などを仕事で手掛け、Web系モバイル関連のテクノロジーに触れる。
その傍ら、子ども向けにコンピュータプログラミングを題材にしたワークショップを自主的に開催。日本でのScratchワークショップの先駆者となる。
ワークショップの写真まとめました。
テレビ取材や雑誌掲載も増え日本でも子どもプログラミングブームが起こりそうした関連の書籍などを手掛けた。
現在はMakerを育てる取り組みを実践している。
どのようなタイプのプロジェクトが好きですか
プログラミングだけでなく、だれでも取り組めそうな身近な素材や技術を使ったプロジェクト。すべての人のためのMakeを目指したい。
自慢な、ストーリーのあるプロジェクト
(プロジェクトの詳細やストーリーを教えてください。)
Maker Faire Tokyoに展示したキリンタワー
多くの子供たちと共同で製作し、段ボール工作のスペシャリスト、サーボによる機械制御のスペシャリスト、プログラミングは私といった体制でファシリテートし、全高3.5mの段ボールオブジェを製作し、Scratchでサーボをコントロールして動かした。
写真まとめました(自由に使ってください。)
メイカになった後の変化
(生活軌跡の変化や経歴を教えてください)
Makerという言葉を知る前からMaker的に生活していたが、大学で学んだアートに対してアートを目的としないものづくりについて一層明確さを増したので、割り切りや思い切りがどちらの方向にも舵を切れるようになった。
ものづくりを身近に置きたいという希望から、作業スペースを備えた自宅を構えることもでき、これからも生活のいろいろな点をMakeしていきたいと考えている。
·やりたいけど、まだやれていないこと
(プロジェクト、人生)
学生の頃から自分で整備して乗っている自動車に関するプロジェクト。テクノロジーを加えるのか、古いものにこだわるのか常に迷うが、十分な時間をかけて取り組みたいと考えている。
今は忙しすぎて後回しになっているが、できればすぐにでもじっくり向き合いたいと考えている。
読者に伝えておきたいこと
Makerは特別なことではなく、人間の根源となる要素です。
現代は誰かが作ってくれたものにあふれていますが、それに敵わなくてもいいし、模倣でもいいので、自分でも何かMakeしてみるといいのではないでしょうか。それはあなたを豊かにして、あなたと同じような人が増えたら世界を豊かにするはずです。
インタビュー(Interview):
Q: Could you share with us why you started to teach children about coding/computing?
A: 最初のきっかけは、川口メディアセブンという公共施設が「子どもとコンピューター」という切り口でワークショップ実施者を募集していて、私がScratchを使ったワークショップを提案し採用されたことでした。
私は小学生の頃家庭で、BASICのプログラミングをして遊んだり、中学校では学校のクラブ活動で、友人たちとプログラミングをしていました。従って、とても自然な流れで、子どもとコンピューターといったキーワードでプログラミングワークショップをやろうということになりました。
大学では現代アートを学び、その頃(学生から社会人になりたての頃)私は、VJ(Visual Jocky)の活動も学生時代の友人たちとしていて、クラブや音楽ライブで映像の演出なども手掛けました。Live codingを中心とした映像制作をしていてflashやprocessingなどをよく使いましたが、その活動の中でScratchも知り、実際に映像の素材としてイベントで使うこともありました。
当時の時代背景として、インターネットやプログラマー(ハッカー)は怖いものといった雰囲気がありました。実は私も個人的に遭遇したインターネットに関係する悲しい出来事もあったため、子どもたちにコンピューターやインターネット、プログラミングの技術をポジティブに使ってもらうきっかけを作れることに興奮した記憶があります。
Q: How is the scratch community created?
A: 川口メディアセブンのScratchワークショップは、日本で最初のScratchの活動として認知され、今のコミュニティ形成に続く多くの方々と知り合うきっかけにもなりました。
2009年に世界的に始まったScratch Dayにも、Scratch Day in Tokyoとして開催し、現在のScratchコミュニティの基礎となりました。
川口メディアセブンでのワークショップは1年間の契約期間を過ぎ、そこで増えたメンバーとともに自分たちで主催する形で毎月様々な場所で実施しました。それはいまも私個人の活動として続いているOtOMOそのものです。
Q: I know that you are devoted yourself into coding/computing education now, but you just quit your job in June 2018. Is there a story behind this big decision?
A: 最初は小さなきっかけで始めた活動も、国内のScratch DayやアメリカでのScratchカンファレンスへ参加するなど国際的な交流などを通じて世界の状況を知ることになります。同時に日本でのScratch関連書籍の出版もあり、国内での立場を築くことになりました。
プログラミングは見方によってはソフトウェアの世界だったりコンピューターサイエンスの領域でとどまることもできます。私はもともと美術を学び、プログラミングは表現の手段や、ものづくりの一部として捉えていました。
その感覚はMakerの文脈にも合致し、日本でも始まりつつあったMakerFaireへの進出、そこでのさらなる交流は、いよいよこの分野を自分の仕事にしたいという動機づけになりました。
特に2017年に訪問した上海MakerCarnivalでは、多くのMakerや、主催者のDFRobotのメンバーたちとの交流から「なぜ君はそこまの取り組みをしていて、チャレンジしないんだ」という大きな問を投げかけられ、それまでの仕事をやめ、子どもとプログラミングを学ぶことへより深くかかわることへ強く背中を押されました。
日本国内でとどまっていたらそのような大きな変化もなく、今もくすぶっていたに違いありません。